ルーツを調べながら各地を旅行するのが好きな与平次の独り言。日々の雑感など。


by uranoke
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カテゴリ:調査日記( 9 )

戸村菊十郎の享年が判明

今週、札幌の父と伯母が小樽の菊池家を訪問しました。
菊池家は私の曾祖母が戸村菊十郎の没後に嫁いだ家です。
もしかして何か手がかりがあるかと思い、父が菊池家の過去帳を見せていただいたそうです。

普通に考えれば、自分の妻の前夫に関する記録がその家の過去帳に書かれているとは思えないのですが、情報はわずかですが、なんと書かれていました。死別だったことも理由にあるのかもしれません。

記載内容は氏名、没年の他に享年が書かれていました。享年は初めて入手した情報で、28歳とありました。やはり想像していた通り、若くして亡くなっていたのです。没年月日は明治42年9月10日ですから、数え年計算で明治15年生まれということが分かります。また、菊池家に伝わる情報では、戸村菊十郎は書生を終えた後、しばらくはどこかの学校で夜学の講師をしていたと云われているそうです。

調査は簡単ではありませんが、少しずつですが前進しているようです。
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by uranoke | 2006-03-11 13:37 | 調査日記
今月に入ってから、当サイトをご覧になった方から大変貴重な資料を頂きました。それは浦野氏を滋野姓海野一族の末裔として研究された過去の資料です。

元来、浦野氏は古代豪族の滋野氏から分かれた滋野御三家(海野、望月、禰津)のうち、禰津氏の末裔とするのが通説ですが、これは海野氏の流れを汲むとしたものです。
実は、群馬県の浦野氏に関する文献を調べると、確かに先祖が海野氏からの分流であるとされたものも実在するのです。

詳しくはいずれ当サイトの方にまとめて考察してみたいと思いますが、かつてこの地方に「浦野氏の歴史をしらべる会」なるものが存在していたようです。やはり、いつの時代も精力的に先祖を調査されている方々はいるのですね。何だか嬉しくなりました。当サイトで公開しているような調査結果も数世代後には重宝されるようなものでありたいですが・・・。

いずれにせよ、このように精力的にご協力いただける方々のおかけで、どんどん調査は進展しています。感謝の気持ちでいっぱいです(^^)。
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by uranoke | 2006-01-21 20:20 | 調査日記

小斎の郷土史より

今日は地元の図書館に宮城県角田市図書館から配達を依頼していた本が届いているということで早速取りに行ってきました。全部で3冊です。

1. ふるさと小斎の歴史 上 窪田文夫
2. ふるさと小斎の歴史 下 窪田文夫
3. 伊具郡誌 臨川書店


全て戸村氏関係で取り寄せた図書です。
ホームページで述べていますが、私の祖母は明治42年に小樽で生まれてすぐに、その父を病で失いました。つまり、私の曾祖父にあたる人物です。そして、辛くも曾祖父母の入籍前であったために、祖母は私生児となってしまいました。名前を戸村菊十郎と云ったそうです。

菊十郎翁は書生として東北のある地から小樽へ渡って、下宿先で曾祖母と出会ったそうです。真偽のほどは定かではありませんが、口伝では名家の出ということで、祖母は、言葉を交わしたことのない父を生涯誇りに思っていて、私も幼い頃から何度となく話を聞いたことがあります。そして祖母は、何とか菊十郎翁の生家・戸村家を探し当てて、自分の父の墓前を立てる日をずっと待ち望んでいました。しかし、そんな祖母も2年前に他界してしまい、結局祖母の願いをかなえてあげることはできませんでした。実は私も含めて親族全員が先祖について本格的に調べることをしなかったためでもあります。

今となっては祖母の願いをかなえてあげることはできませんが、趣味の範囲とはいえ、本格的に先祖の調査を始めた身にとっては、何とか今からでも達成したいというところです。

さて、整理してみると、わずかばかりに曾祖父については知らされていることを以下に列挙してみます。

1.名を戸村菊十郎、明治42年9月10日没・深入法教信士。
2.小樽で病死したが、葬儀後、骨壷は戸村家が持ち帰ったと云われ、墓はどこにあるのか不明。
3.口伝では菊十郎は東北地方から小樽に単身で書生として渡っていた。
4.口伝では菊十郎は仙台藩家老職の戸村氏の末裔と云われていた。
5.書生のあと、小樽市役所で勤務していた。
6.その後、小樽のある小学校の校長に就任が決まっていたが、着任前に病死した。

というものです。骨壷を戸村家が持ち帰ったのは、曾祖父母が正式に結婚していなかったためと云われています。ところがその後、私が調査した限り、手がかりとまでは行きませんが妙な事実がわかってきました。

1.仙台藩には家老職は存在しない。同等の職に奉行職というものがある。
2.仙台藩の各資料で藩士級まで広げても、戸村という人物は1人もいない。
3.一方で秋田藩家老に横手城代戸村十太夫をはじめとする戸村一族がいる。
4.しかし、何故か現在の東北地方の戸村氏は、その殆どが仙南地方(角田・丸森)に集中している(一方で秋田の戸村氏は非常に少ない)。

従って、口伝を全て満たす戸村氏は存在しないようです。きっとどこか誤った伝承だったのでしょう。私はまず仙南地方に多く分布する戸村氏の調査に乗り出すべく、仙南の中で最も多いところに焦点を絞ってみました。幸いにも「戸村」という姓は希少名字ですので、そこを調べてみると仙南地方でも特に丸森町の「小斎」というところに最も多いことが分かりました。そこで今回、この「小斎」を中心とする郷土史料を取り寄せたというわけです。

まだしっかり読んでいませんが、パラパラと資料をめくってみて、早速驚きました。この地方を治めていた佐藤家に仕えていた重臣のことを明確に「家老」と書いています。括弧書きで奉行とも書いていますが、地元の方々は家老と呼んでいたようです。やはりじっくり腰を据えて取り組んでいくと何かしら収穫が出てきます。パッと見たところ、郷土史に蔵書として資料を提供している戸村さんもおられるようです。長い調査になると思いますが、じっくり資料と格闘していこうと思います。
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by uranoke | 2005-12-18 23:55 | 調査日記

諸国の浦野氏

29~30日は仕事で東京へ出張になったため、今回は妻を一緒に連れて行きました。私は仕事なので動き回れないのですが、せっかく東京へ行くので、妻に国立国会図書館の資料を見てきてもらったのです。

当HPでも紹介している浦野氏の本流とも云うべき尾張や信濃の一族以外の情報を入手することが出来ました。上野国、武蔵国、三河国、京都、安芸国、伊勢国、岩代国の浦野氏に関する情報です。近々HPでも紹介します。

結局、私は時間がなくて行けなかったのですが、国立国会図書館は全て検索が電子化していて、事前に端末機から図書を呼び出して、窓口に取りに行くというシステムになっているそうです。便利そうではありますが、実際に本棚の前であれこれ本を取り出して調べることができないのが、ちょっと残念ですね。
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by uranoke | 2005-11-30 22:30 | 調査日記

役場からの返答

昨日、役場から手紙が届きました。実は先週、5世祖父の除籍謄本を郵送で請求していたので、その返事です。結果から言うと、残念ながら該当する戸籍は存在しないとのことで、書類が戻って来てしまいました。

戸籍を請求した5世祖父とは、私の「母の母の父の母の父」にあたる人物です。わけが分からなくなるような関係ですが、れっきとした直系先祖(自分がこの世に存在するために必要な人物)です。これまでの調べで高祖母(母の母の父の母)が安政2年の生まれでしたので、さすがにその父の戸籍は難しいと思ったのですが、もし明治期まで生きた人物であれば可能性はあります。そこでダメ元で出したのですが、やっぱりダメだったというわけです。

先祖の調査というのは、こうゆうことの連続です。無理だと思って、結局無理ということも多いですが、信じられない事実が隠されていることもあります。実際に確かめてダメだったならば、「そこでは手がかりが分からなかった」という事実が分かります。

これからも少しずつ空白を埋めながら調査を進めていきます。
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by uranoke | 2005-11-26 00:46 | 調査日記

祖父の姉の嫁ぎ先は能登

今日は願いを込めて1通の手紙を送りました。
宛先は能登。私の祖父の姉の嫁ぎ先である可能性が高いのです。

祖父も祖父の姉も明治時代に北海道で生まれました。しかし、曾祖父の代までは能登の人間だったので、どうやら何かと能登とは交流があったようです。

ところが実際のところ、一体どういった理由で能登から北海道に渡ったのかなど、その経緯については、ここまで色々調べても全くもって不明です。

口伝では、私の小さい頃、父から浦野家は石川県七尾から来たと言われていましたが、私が成人して実際に調べてみると、少なくとも幕末期以降については、石川県は石川県でも七尾とは程遠い珠洲から来たことが分かりました。その他の親族を調べても、「七尾」という地名は一度も出てきたことはなく、これが私にはどうにも理解できないのです。

父は一度も北陸など行ったことのある人間ではないので、そもそも石川県の地名など知りません。それなのに、父は昔からしっかりと「七尾」と明言しているのです。かつて祖父から聞いたこというのですが、祖父は北海道で生まれていますし、曾祖父も珠洲の生まれでした。

そんな中で、父が昔会ったことがある祖父の姉妹に、かつて能登の家に嫁いだ者がいるという話を聞いたことがあります。戸籍を調べると、確かに祖父の姉にあたる人で、北海道で生まれていながら能登へ嫁に行った者がいます。嫁ぎ先の姓も父から伺った話と一致していました。

私は、もしかしたらこれは先祖が北海道へ移住する経緯、そして移住後の能登との関係を明らかにできる糸口になるかもしれないと思いました。早速、能登の電話帳で該当する地方を調べたところ、戸籍に残された本籍地と非常に近いところに同姓の方がいることが分かりました。もしかしたら祖父の姉の子孫かもしれないと思い、早速、手紙を書いたのです。

全く無関係の方かもしれませんが、結果を楽しみに待ちたいと思います。
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by uranoke | 2005-11-15 23:23 | 調査日記

佐竹義宣の国替

昨日は図書館へ文献を調べに行って来た。
戸村氏について調べるために那珂町史を読みたかったのだけど、なぜか「古代」と「近代・現代」の2冊しかない。一番調べたい時期のものがないので図書館員に聞いたら、「初めから当館にはこの2冊しか置いてません」とのこと。そんな半端なことって・・・。まあでも別の郷土史を見つけたからよかった。那珂町は去年の11月に市町村合併に伴って那珂郡から那珂市になった。だから那珂市立図書館が近々建設されるらしい。そうなるとコアな文献が多く蔵書されるのだろう。

あと佐竹義宣の国替に関する文献はいくつか見つけたので禁帯出でないものだけ借りてきた。実はこの辺の話は、これまで興味がなくて全然知らない。昨晩ちょっと読んでみたけど、面白そうだ。関が原の戦いで徳川方に付かなかった佐竹氏の常陸国没収から秋田移封後の立ち上げまで小説仕立てで書かれている。自分の生き方がそのままで小説のようだなんでカッコイイなあ。
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by uranoke | 2005-11-07 22:53 | 調査日記
a0058649_17483290.jpg今日は、戸村氏の発祥地である茨城県那珂市へ行きました。戸村氏は元々、藤原秀郷の末裔である那珂氏の分流として、この地に起こったのですが、この戸村氏は、南北朝の争いのときに、南朝側に付いて戦いに敗れ、一族は滅亡しました。

この地は清和源氏の佐竹氏の領地となり、佐竹氏の末裔が滅んだ戸村城を再興し、再びここに戸村氏が起こったのです。ですから、これを佐竹戸村氏と呼んで、前の那珂戸村氏と区別しています。


今日、調査に行ったのは、那珂市戸(現在は「戸村」から「戸」という地名になっている)にある戸村城跡です。城を囲った堀や土塁の類は今でもしっかり残っていて、写真に収めてきました。土塁に周りに水路があるので、水路がかつての城郭を覆うように複雑に入り組んでいました。

戸村城は1600年代後半まで、佐竹氏によって守られていたのですが、関が原の戦の後に、秋田へ佐竹氏が移封されたのに伴って、戸村氏もこの地を離れ、佐竹氏と一緒に移ったのです。資料を整理したら、近いうちにホームページにもアップします。
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by uranoke | 2005-11-05 17:12 | 調査日記
(この記事は関連サイト「浦野家の歴史と系譜」から移動したものです。)

直接、お問い合わせやアンケートに回答して頂いた方の出身地を中心的に浦野氏の分布を市町村別に調べていますが、これは実に興味深いのです。

勿論、都道府県別に見ると、大雑把な分布は分かるが、これを市町村別に見ると、明らかに偏りが見られるのです。明治維新後に初めて浦野を名乗った場合は別としても、この偏りこそ、数百年の単位で各土地に住み着いた一族なのだろう直感できるのです。

この各地の一族は、一見すると数は多いが、それでも1つ1つ調べるのは絶対不可能というほど多いわけでもないように思えます。これらの一族の先祖を調べ、つながりを調べると、浦野氏の動きが分かって相当に面白い気がします。既に浦野家の多い群馬や長野では、これらの一族はある程度洗い出されているのですが、様々な地へ流出した浦野家の経緯について調べると、新たな発見があるかもしれません。
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by uranoke | 2005-09-22 17:30 | 調査日記