ルーツを調べながら各地を旅行するのが好きな与平次の独り言。日々の雑感など。


by uranoke
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小斎の郷土史より

今日は地元の図書館に宮城県角田市図書館から配達を依頼していた本が届いているということで早速取りに行ってきました。全部で3冊です。

1. ふるさと小斎の歴史 上 窪田文夫
2. ふるさと小斎の歴史 下 窪田文夫
3. 伊具郡誌 臨川書店


全て戸村氏関係で取り寄せた図書です。
ホームページで述べていますが、私の祖母は明治42年に小樽で生まれてすぐに、その父を病で失いました。つまり、私の曾祖父にあたる人物です。そして、辛くも曾祖父母の入籍前であったために、祖母は私生児となってしまいました。名前を戸村菊十郎と云ったそうです。

菊十郎翁は書生として東北のある地から小樽へ渡って、下宿先で曾祖母と出会ったそうです。真偽のほどは定かではありませんが、口伝では名家の出ということで、祖母は、言葉を交わしたことのない父を生涯誇りに思っていて、私も幼い頃から何度となく話を聞いたことがあります。そして祖母は、何とか菊十郎翁の生家・戸村家を探し当てて、自分の父の墓前を立てる日をずっと待ち望んでいました。しかし、そんな祖母も2年前に他界してしまい、結局祖母の願いをかなえてあげることはできませんでした。実は私も含めて親族全員が先祖について本格的に調べることをしなかったためでもあります。

今となっては祖母の願いをかなえてあげることはできませんが、趣味の範囲とはいえ、本格的に先祖の調査を始めた身にとっては、何とか今からでも達成したいというところです。

さて、整理してみると、わずかばかりに曾祖父については知らされていることを以下に列挙してみます。

1.名を戸村菊十郎、明治42年9月10日没・深入法教信士。
2.小樽で病死したが、葬儀後、骨壷は戸村家が持ち帰ったと云われ、墓はどこにあるのか不明。
3.口伝では菊十郎は東北地方から小樽に単身で書生として渡っていた。
4.口伝では菊十郎は仙台藩家老職の戸村氏の末裔と云われていた。
5.書生のあと、小樽市役所で勤務していた。
6.その後、小樽のある小学校の校長に就任が決まっていたが、着任前に病死した。

というものです。骨壷を戸村家が持ち帰ったのは、曾祖父母が正式に結婚していなかったためと云われています。ところがその後、私が調査した限り、手がかりとまでは行きませんが妙な事実がわかってきました。

1.仙台藩には家老職は存在しない。同等の職に奉行職というものがある。
2.仙台藩の各資料で藩士級まで広げても、戸村という人物は1人もいない。
3.一方で秋田藩家老に横手城代戸村十太夫をはじめとする戸村一族がいる。
4.しかし、何故か現在の東北地方の戸村氏は、その殆どが仙南地方(角田・丸森)に集中している(一方で秋田の戸村氏は非常に少ない)。

従って、口伝を全て満たす戸村氏は存在しないようです。きっとどこか誤った伝承だったのでしょう。私はまず仙南地方に多く分布する戸村氏の調査に乗り出すべく、仙南の中で最も多いところに焦点を絞ってみました。幸いにも「戸村」という姓は希少名字ですので、そこを調べてみると仙南地方でも特に丸森町の「小斎」というところに最も多いことが分かりました。そこで今回、この「小斎」を中心とする郷土史料を取り寄せたというわけです。

まだしっかり読んでいませんが、パラパラと資料をめくってみて、早速驚きました。この地方を治めていた佐藤家に仕えていた重臣のことを明確に「家老」と書いています。括弧書きで奉行とも書いていますが、地元の方々は家老と呼んでいたようです。やはりじっくり腰を据えて取り組んでいくと何かしら収穫が出てきます。パッと見たところ、郷土史に蔵書として資料を提供している戸村さんもおられるようです。長い調査になると思いますが、じっくり資料と格闘していこうと思います。
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by uranoke | 2005-12-18 23:55 | 調査日記